引きこもり放談

30代間近の働けない引きこもりが、この生活を脱出するために色々やってみるブログ。わたしにも出来ることがあると思うんでね、色んなことをやってみたり書いてみたりします。時々ふざけたくなります。生きがいはラジオです。 脱引き訓練のリアルタイム更新は、諦めました。(もう、追いつけやしないから。)

タグ:言葉について

   → 書くことについて
   → 物言わぬ支持者
   → 哀愁


母とは、主に手紙やメールのやりとりをしている。
お互い、瞬発的なやりとりでは誤解が生じやすい人間だ。
暗黙のなんちゃらなのか、書き言葉の会話のほうが多い。

わたしは、このやりとりを気に入っている。
丁寧に関わることが出来るからだ。

うちは色んなことがあった。
だから、和解したとは言え、どこかよそよそしい。
このまま母の最期まで、仲良し親子にはなれないかもしれない。
それでもいい。
気を遣い合いながらでも、お互いの気持ちを伝えることが出来るようになった。
そんな日は来ないと思っていたから。もうそれで充分だ。

書くことを勧めてくれたのは、母である。
手紙やメールのやり取りの中で、わたしの文章を褒めくれた。
立ち直るきっかけを見つけられるまで書き続けてみては、と言ってくれた。
親心から出た褒め言葉だろうが、真に受けてブログを立ち上げた。

昔から文章を書いていた。
ブログをやってみたり、物語を書いてみたり、そんなことばかりしていた。
ただ、得意ではなかった。好きだとも言えなかった。
わたしは、自分の考えを相手に伝える行為に苦手意識がある。
会話でも、文章でも。
どうしてうまく出来ないのだろう。
苛立ちながらも、書くことだけはやめられなかった。

先月ブログを立ち上げてから、感じたままに書いている。
不思議と、苛立ちはない。
引きこもり寛解期に入り、今までで1番穏やかな自分を手に入れた。
知らぬ間に、文章も変わったのだろうか。

美しい言葉をただ並べるだけでは、自分の心が消えていく。
そんなものは、美しい文章ではない。
文章のうまさ・美しさは形のないもので、そればかり考えると息が詰まる。
このような場では、自分が感じたことをわかりやすく伝えることさえ出来ればそれでいい。
そんな風に考えるようになった。

何を伝えたいのか、どうすれば最後まで読んでもらえるのか。
ほんの少しでいい、どうすれば、わたしという人間を想像してもらえるのか。
その気持ちがあればいい。

今はまだ、思い通りに書けているとは思えない。
書くことは難しい。けれども楽しい。
わたしは書くことが好きだ。今ならそう言える。
この年になって、新しい自分を知ることになるとは。

書き続けながら、道を作りたい。自分の文章というものを知りたい。
書きながら、わたしの毎日も変わってゆく。
きっと、そうだろう。


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「物言わぬ支持者」という表現がとても好きである。
この表現を知ったのは有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERというラジオ番組だ。
(記憶違いかもしれないが)
有吉親方の
「物言わぬファンが応援してくれていることも知っているから」という発言が耳に残った。

最近、心が苦しくてたまらなかった頃のことをよく思い出す。
心の内を書き始めたことが関係しているのだろう。

わたしは比較的穏やかな引きこもりに進化した。
1番根深い苦しみは、様々なことがうまく重なり、薄れていった。
それからは、のんびり屋という仕事をしている。(ちょっとしたユーモアだよ)
現在は、心と身体のバランスが取れなくて四苦八苦しているくらいだ。
もう大丈夫なはずなのに上手くいかない、そのようなものだ。

あの頃のわたしを思い出すたび、同時に考える。
引きこもりだろうが、そうでなかろうが、
あの頃のわたしのように苦しくてたまらない人が、世の中には沢山いるのだ。
そう考えると、胸がキューウとなる。

苦しかったことは全部忘れたい。考えたくない。
引き戻されそうになるから。
やはり忘れてはいけない気もする。だから思い出す。考える。

この先、あの頃のわたしのような人たちと関わり合うことは、もうないのだと思う。
そのほうがいい。わたしはそんなに強くない。

けれども共に歩んでゆきたい。
それぞれが生きやすい人生を作ってゆくことを、遠くから願う。
わたしもまだ、その途中。

わたしは1番苦しかった頃のことを忘れない。
物言わぬ支持者でいたい。
そのことを一度だけ書いておこうと思った。


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「哀愁」という言葉をうまく取り込めない。

小説のフレーズを繰り返し読みあげても、辞書を何冊ひいても、
なんだか嘘っぱちの納得しか出来ない。

いつもと同じ帰り道。
少し暗い道。

スーツを来た男性が自転車を押している。
誰かとお話し中のご様子。
右手に携帯、
左手で自転車を押しながら歩いている。
今日は日曜日だ。
接客業に就いている人かな。
休日出勤なのかもしれない。

前かごにはスーパーのレジ袋がどさっと。
即席めんの5食パックがいくつも見える。
一人暮らしなのだろう。

電話を切る。
後ろの棚に結び付けてあるビジネスバッグを確かめる。
頑丈そうなヒモで結んである。
買い出しの日はいつもそうなのだろう。
前かごに即席めん、
後ろにバッグ。

どんどん遠ざかる背中に哀愁を感じた。
わたしが初めて眼で見て感じた哀愁。

やっぱり違う気がした。
もの悲しさとは少し違う。
働く男はかっこいい。
結局今日も哀愁のことはわからないままだ。

おじさん、いや、お兄さん。
お疲れ様。
わたしもいつか社会に戻るからな。
一緒に働こうな。
卵とネギは家にあるか?

話し声は聞き取れなかったけれど、
さっきの電話の相手が、あの人の大切な人であればいいのにと思いながら帰った。


きゅうりが1本96円もする日に書いた。


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