母はわたしに激甘だ。
このブログを始めた頃から、わたしに何も言わなくなった。
話すこと以外は無理に知ろうとしなくなった。
信用とか安心とか、そんな気持ちをもってくれるようになったから、放っておいてくれるのだろうか。
いいように解釈している。

母はわたしに激甘だ。
今年貯めようとしている10万円も、頼めば出してくれるだろう。
今までも返しきれないほどの無駄金を使わせているのにも関わらず。
現に、春から始めるあることの為に ”洋服を買ってあげようか” と言う母。
「要らないよ」
わたしはそれを断った。

それじゃあアカンのだ。
わたしは今変わらなあかんし、変わりたい、変われそうなのだ。
わたしが気を確かにもっていなければ、母がいなくなった後、生きていけなくなる。

わたしはとても恵まれた引きこもりだ。
他の引きこもりの皆に申し訳なくなるほどに恵まれている。
このような状況を勝ち取ったのは 「"正直に思いを伝え、変わろうとする自分を見せる" ことをしたから」ではあるのだが、それにしても恵まれすぎている。
わたしは恥ずかしいやつなんだ。

激甘暮らしには、皆とは別の意味での恐怖がある。
心を磨き震わし続けなければすぐダメになる。のが見えている。ああ、こわい。

1日だけの単発アルバイトに行く前、
母に「これでもらうお金は使うあてがあるから見逃してもらえるやろうか?」と聞いた。
母は「今のあなたが得るお金は、命を削る思いで稼ぐ大切なお金。長期のお仕事に就いたら生活費を3万円くらいは家に入れてね。それまでに得たお金は自分で好きに使っていい。」と言う。
あんた仏かよ。

そう言ってくれているのだが…うん。うん…。
働いて稼ぐお金は全部命を削って得たものだろう?
わたしが稼ぐお金だけが特別なわけじゃないだろう?
だからモヤモヤしていたのだ。

けれども、今のわたしには毎月3万円を家に入れながら暮らす余裕はないわけで。
次に進むためのお金がたくさん必要なわけで。
先なんてハッキリと見えないわけで。

もう1度だけ、確認しておくことにした
前に言ってくれたことに甘えていいのかと。
わたしはそのつもりでいるぞと。わたしのやれるペースでしか動けないぞと。
ありがたいが、本当に、本当にそれでいいのかと。母に聞いた。
母はそれでいいと言ってくれた。

おそろしい環境に身を置いてしまっていることを再認識した。
フリーダム。「自由は不自由の始まりだ」と言い出したのは誰だろう。
吉と出るか凶と出るか。人生はギャンブルなのだ。
ヒリヒリする。
色んな人のせいにして引きこもり、人生を放棄していた時よりも、今のほうがヒリヒリする。
生きるために生きていくことを選んでからのほうが、行く末おそろしい。

母の選択が間違いではなかったと身をもって証明することが出来るのであろうか。
これはわたしの呼吸がとまったあとにしかわからないことだ。
やるしかないし、やってみせようぞ。乞うご期待。


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